自由な夫婦のブログ

アラサー夫婦が共同で綴るブログです。

行動力の源泉=余白?

夫の思考備忘録です。

生活をより良くしていくために必要な力は何かと聞かれれば、真っ先に「行動力」と答えると思います。行動すればその先で、より良い行動が見えてきて、そういう繰り返しで生活が改善していくと思うからです。

でも、それは薄々わかっていつつも、大抵の場合は行動に移せません。その理由について考えてみました。

たとえば私の今朝の状況を考えてみると、近くのカフェに行こうと思ったけどやめました。おそらく、行った方がより充実した時間を過ごせたのではないかと思います。その時自分が考えたことは何か。

  • ちょっとお金かかるな
  • 今日は天気が良いから配達しても良いな
  • 家のモニターとかスキャンを使って作業したいことがあるな
  • 勤務している塾の行末はどうなるのだろうか
  • ブログは?YouTubeは?・・・

こんな感じで、なんだか考えることが多くて、半ば混乱してしまって、行くのをやめてしまいました。

 

なぜ行動できないのか。そこからふと考えたのは、脳の容量不足なのでは? と思ったのです。古いパソコンのスピードが落ちるイメージに近いかもしれません。少なくとも今朝の私はそうでした。お金がなくなるという恐怖とか、他の選択肢が削られるとか、それは後付けの理由で、根本的には脳の中があらゆる思考でいっぱいで、これ以上の行動ができない状態だったように思います。

そこから考えるに、行動力の源泉は、脳の余白かなと思ったわけです。余計な悩み事がない状態と言っても良いかもしれません。少なくとも勇気とかバイタリティとかそういう要素は二次的なものなのであって、脳の余白こそが根本的な要素なのではないでしょうか。

 

では、脳に余白を作るにはどうしたら良いか。方向性は2つ。

  1. 思考を書き出すことで脳から排出する
  2. 余計な悩み事が増える環境に身を置かない

最近は毎日ジャーナリングと言って、自分の思考を書き出す作業をやっていますが、これは前者に当たりますね。改めて継続しようと思いました。

そして後者も大事ですね。先ほどカフェに行く前の自分の思考を書き出しましたが、その中の「塾の行末は・・・」なんてまさにこれ。考えてもどうしようもない余計な悩み事が増える環境に身を置いてしまっているのだと反省しました。

 

ではまた。

常に選択肢を持つ

夫です。

 

幸せについて考えていたら、スナフキンの「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」という名言に行きつきました。

 

私は一人旅とか好きだし、友達も物も少なくなってきたけど、では長い旅を「口ずさめる一つの歌」だけで楽しく過ごせるかというと、無理だと思います。まだ何か物とか、サービスとか、少ないながら人とか、頼ってしまうと思います。

つまり、まだ幸せを自分の外にある物とか人に頼っているところがあるということです。もちろんそれは人として当然なことなのですが、「自分だけでも自分を幸せにすることができる」という選択肢を持つことが、幸せの大事なピースになるのではないかと考え始めました。

 

例えば、働かなくても良いけど働いている、という状況を考えてみましょう。辞めたければいつでも辞められるけど働いているとも言い換えられます。その状況での働くという行為は、強いですよね。

それと同じことが、物とか人でもあるのではないかと思うのです。例えば、車が大好きな2人がいたとしましょう。1人は「車が好きで好きで、ないと生きていけない」というタイプで、もう1人は「別に車はなくても幸せだけど、車が好きだから持っている」というタイプです。どちらの好きが強いかというと、やっぱり後者ですよね。車を人に置き換えてもきっと同じことが言えます。

 

そう考えると「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」という状態は、まず、人やものがなくても自分は幸せということよね。その最強の選択肢を持った上で、だけどこの人は好きとか、この物が好きとかなったとしたら、それは強いよな・・と、想像しました。

 

自由とは選択肢を持つこと、とはよく言いますが、最強の選択肢とは「自分は物も人もなくても満足=幸せ」という状況なのかな、と思ったよ、という話でした。

 

ではでは。

産休中にやりたいことリスト

・Peaceでごはん

 →小さい子どもNGのお店でコース料理食べる

・かづやでラーメン食べて美味しいコーヒーを飲む

 →念願💌

・MESMで朝ごはん食べる

 →天気のいい日にいく

・下北沢散歩デート

 →ぷらぷら

ジブリ美術館に行く

 

楽天でベビーグッズを揃える

・世界一幸せな洗濯をしていっぱい写真撮る

・入院バッグを準備する

 

・セルフフォトスタジオで、2人でマタニティフォトを撮る

 →お腹の目立つ服で行く

 

・旦那さんの靴と服を買いに行く、一回高い美容室に連れて行く

 →かっこいいパパにしよう大作戦

 

・毎日竹脇まりなさんのYOUTUBEで運動する

・毎日簿記と漢字の勉強をする

時間が欲しくていらなくて欲しい

妻です。

 

赤ちゃんが3ヶ月後に産まれます。

最近時間に対する焦りが、虚無感というか何もしたくないに変わってきています。

頭に浮かぶことが多いことをまとめてみます。

 

・子どもの名前を考えたい→しっかり考えて決めたい、もっと考えればよかった・こんなのがあったのかと後悔したくない、候補ばかり上がって決まらない

・簿記と漢字の勉強をしたい→産まれたらなかなかこんなゆっくりは出来ないだろうなあっていう焦りもある、楽しい、首が痛い

・おしゃれなカフェでのひとり時間を過ごしたい→産まれたらなかなか出来ないよなあシリーズ、お金がかかるよな太るなって思ってあんまり出来てない、だんだん長く動くのがつらい

・赤ちゃんにたくさん話しかけたい→あんまり声をかけてあげれてない気がする

・自炊→してはいるけど楽しくなくなってきた、自分のご飯は全部同じ味がする、ご飯が楽しくない

せどり→自分1人じゃ何も出来ていない感が辛い、でも楽しい。

 

色々あるけれど、出来ない理由をつけてやってないだけな気がする。やってしまえば出来る気もする。こんなことをぐるぐる考えていたら、最近の何もしたくないもう寝たいモードになっているように思います。

時間は有限です。1人でいる時間が最近嫌いです。でも数ヶ月後には、こんな時間が欲しくなるんだろうな。

細々との細々が人より細いのかもしれないけど、たまに途切れたりもするけれど、じみーにやりたいことをやり続けていけたらいいな。

物事を山登りに例える

夫です。

 

最近は物事を山登りに例えることを取り入れています。

例えば資産運用。資産5,000万を準富裕層と定義し、そこを目標とするのなら、5,000万円を頂上とする山をイメージする。そこに向かって少しずつ登っていく。そういうイメージをすると良いことがいくつかあります。

  1. 途中に険しい道のりがあることを当たり前と捉えられる
  2. 目標達成のための準備の必要性を認識できる
  3. 目標達成後ではなく、その途中にこそ楽しさがあることに気づける

簡単に1つずつ補足してみます。

 

まず1つ目の「途中に険しい道のりがあることを当たり前と捉えれる」について。

山登りでも、途中の道は険しく、景色も頂上も見えないことがあるのと同じで、目標に向かって進んでいく際には、途中は変化の見えない悶々とした時間があることは当たり前です。でも、別に止まっているわけではない。景色が変わらないから不安になるけど、いつかどこかのタイミングで景色が見える場所とか、地図がある場所にたどり着く。そういう山登りのイメージをすることで、物事を途中で辞めてしまうことを防げる感じがします。

 

2つ目の「目標達成のための準備の必要性を認識できる」について。

山登りをする際には、必要装備というものがあります。ただ登れば良いというものではないですよね。最適な装備品を揃えてから登り始めないと、途中で挫けてしまうことになります。大切なことは、それは多くても少なくてもダメということ。準備ばかりしていてもそれが必要なければ、逆に登りづらくなってしまう。こうして山登りに例えることで、目標に向かって歩き始めるときに、最適な準備を整えたかを考えるようになります。

 

3つ目の「目標達成後ではなく、その途中にこそ楽しさがあることに気づける」について。

山に登る人は、頂上からの景色が見たくて登るのでしょうか。もちろんそれもありますが、途中の道を楽しめない人は山登りには向いていないですよね。景色の変わらない淡々とした登り道ですら、楽しみながら登っています。物事でもそれは同じで、途中は辛くて目標達成後が幸せ、というのは本当はおかしなことです。もしそうなるのだとしたら、登る山を間違えているのかもしれません。こうして山登りに例えることで、途中を楽しみながら目標に向かう意識をイメージできます。

 

 

資産形成だけでなく、副業でお金を稼ぐとかも同じイメージで取り組むことができるので、この山登りのイメージはおすすめです。

 

ではまた。

ジャーナリングの威力

夫です。

 

考えていることを書き出すことの威力に気づいたのは、実はこの1年くらいです。そこから色々な方法を経由しつつも、頭の中にあるものを紙に書き出して可視化するという行為は継続的に続けてくることができました。

 

そして今特に取り組んでいるのは、ジャーナリングという形態の書き出しです。書く瞑想などとも言われますが、頭の中に浮かんだ思考をそのまま紙に書き出していくという作業です。頭に浮かんだことをそのまま書き出しので、何も浮かばなかれば「何も浮かばない」ということを書き出します。

 

朝にこのジャーナリングを続けて1ヶ月以上経過しましたが、最初の頃は正直なところ、巷で言われているような衝撃的な変化は感じませんでした。ただ、3週間4週間と経過するうちに、徐々に効果を感じるようになりました。

 

想像してもらえればわかると思いますが、このジャーナリング、毎日やっていると同じような思考が浮かんでくることがよくあります。昨日も同じこと考えていたな、みたいなやつです。単純なことに、自分を取り巻く状況に大きな変化がなければ、1日経とうが1週間経とうが、結局同じようなことをぐるぐると頭の中で考えることになります。これはおそらく誰しもがそういう状況になっているのだと思うのですが、こうやって紙に書き出して頭の中を客観的に可視化しないと、そのことに気づきません。私が今感じているジャーナリングの最大の効果は「ずっと同じことをぐるぐると考えているということを客観的に認識できる」ということです。

 

これが認識できると、この状況を打破せずにはいられなくなってきます。状況を打破するにはどうしたら良いか。思考したことを行動に移すこと以外あり得ません。行動に移すことによって、状況が何らか変化します。するとそこで初めて次の思考ができるようになります。これが人生の好転なのだと思うのです。

 

今、私は人生が右肩上がりで成長していることを感じています。これからの人生が本当に楽しみです。3年前、新卒で入った会社を辞め塾講師を始めた頃から今を見てみると、それでも大きく変わってきたと思いますが、今の成長スピードはこの3年の比ではないと感じています。今から3年後にどんな姿になっているか、自分自身でも楽しみです。

 

では今日はここまで。

終活

夫です。

 

最近意識しているのが「終活」です。

アラサーにして終活とは何事かという感じかもしれませんが、大げさではなく、常に死を意識して生きることは、今を大切にする意識を高める要素です。

もちろん、私も妻も両親や祖父母絡みの相続話が耳に入るようになってきたことも影響していますが。

 

特に今取り組んでいるのが、銀行口座や証券口座などの断捨離です。

数年前ポイ活絡みで色んな口座やら何やらを頻繁に開設していた時期があって、それらは全てMoneyforward MEで管理していたのですが、その管理コストにも脳のリソースを使っているし、最終的には解約する運命にあるのだから、分かりやすく一本化する作業を進めています。

 

もし自分がどこかのタイミングで妻より先に死んでしまっても、何がどこにあるのかというお金周りのことは整然と分かりやすくしておいたほうが良いですし、何より管理しやすくて分かりやすい。

 

 

今月までは色々としがらみもあって、あまり思い切った動きをできない時期なので、今は守りを固める意味でも少しずつ「終活」を進めていきます。