産休が終わります
近々入院するので、産休が終わります。
4月は、ブログにやりたいことを羅列したものの割と時の流れに身を任せて生活し、5月はやりたいことチェックリストをあらためて作り直して過ごしました。
両方とも楽しかったけど、5月に関しては何回もチェックリストを振り返りながら生活して、やりたいことが済んだらチェックマークを入れていきました。
まるで人生が終わるような行動だったかもしれないけど、後悔なく産休を終えて、新生活に踏み出すことができそうです。
産休に入って一番変わったことは、パソコンをしょっちゅう開くようになったことです。自分が何をしたかったか、チェックリストに何を書いていたか、何回も振り返ることで自分が優先的にやりたいことを整理することができました。そして後悔なく、時間を過ごすことができました。それはスマホでもいいのかもしれないけど、日常生活に馴染みすぎているスマホを触るよりも、落ち着いて腰掛けて、パソコンを開く時間が、自分なりの区切りになって頭を整理できていました。
産休の期間の中で、お腹の胎動を感じること・夫と朝寝坊することが、自分にとって何より大切な時間でした。チェックリストにそれは書いていなかったけど、書いていないのに何よりも優先していたことでした。チェックリストが埋まっていくごとに、自分の大切なことが見極められていった気がします。
産休は、1日1日を愛おしく過ごすことができたけど、きっと普段からこうするべきなのかもしれません。泥のように働いて、疲れて、1日1日を嫌だ嫌だと言いながら流れるように過ごしていた5年前の自分に、今の自分を見せてあげたいです。
赤ちゃんが無事産まれたら、もしかしたら余裕のない日々になるかもしれません。でも、日々成長していく子どもの姿を流れるように見過ごしたくはありません。産休期間で学んだ日々の整理と、やりたいことの羅列・チェックは是非に続けていきたいです。これからも後悔のない人生にしたいです。
一番楽しいよと有名な第一子の産休もあとほんの少し。でも寂しくはありません。とても前向きに迎えることができそうです。
書評:その「一言」が子どもの脳をダメにする
夫です。
その「一言」が子どもの脳をダメにする、という本を読んだので、そのメモを書いてみます。
この本は、親が子どもにするべき声かけについて、脳の成長という観点から書いた本です。
つまり、どういう声かけをしたらと子どもの脳は健全に成長していくのか、ということについて書いています。
その心構えを端的にまとめると、以下の2点に集約されます。
- 評価しない。とにかく認める。
- あいまい言葉を使わない。ロジカルかつフルセンテンスで。
1を実行するのはとても難しいことです。
そのため、本書では家庭内での約束事(=軸)を2つか3つくらい定めておくことが勧められています。
それはたとえば、「死なない、死なせない」「早寝早起き」のような、声かけ以前に、健全な体の成長を担保するような内容です。
そして、その約束事以外のことは口を出さないようにする、ということです。
宿題をやっていなくても、忘れ物をしても別に死ぬわけではない。
そういった、親とか社会の価値基準に沿って大人が評価したり意見したりしないことで、健全な脳の成長が促されるということです。
2.はとても参考になりました。
「ちゃんとやって」とか「そんなくだらないこと・・」などの、曖昧な表現を使うと、子どもの立場からすると混乱してしまいます。
「ちゃんと」とは具体的にどうすることなのか、なぜ「くだらない」のか。
大人の価値基準とか常識的なものが子どもにはまだ備わっていないので、あいまい言葉は子どもからすると思った以上に雑な言葉に聞こえるでしょう。
そうならないために、大人は子どもに対して、「ロジカルに、フルセンテンスで」声かけするようにアドバイスされていました。
特に2.は、子どもの語彙力、論理力を鍛えるという観点で、参考にしたいところです。
行動力の源泉=余白?
夫の思考備忘録です。
生活をより良くしていくために必要な力は何かと聞かれれば、真っ先に「行動力」と答えると思います。行動すればその先で、より良い行動が見えてきて、そういう繰り返しで生活が改善していくと思うからです。
でも、それは薄々わかっていつつも、大抵の場合は行動に移せません。その理由について考えてみました。
たとえば私の今朝の状況を考えてみると、近くのカフェに行こうと思ったけどやめました。おそらく、行った方がより充実した時間を過ごせたのではないかと思います。その時自分が考えたことは何か。
- ちょっとお金かかるな
- 今日は天気が良いから配達しても良いな
- 家のモニターとかスキャンを使って作業したいことがあるな
- 勤務している塾の行末はどうなるのだろうか
- ブログは?YouTubeは?・・・
こんな感じで、なんだか考えることが多くて、半ば混乱してしまって、行くのをやめてしまいました。
なぜ行動できないのか。そこからふと考えたのは、脳の容量不足なのでは? と思ったのです。古いパソコンのスピードが落ちるイメージに近いかもしれません。少なくとも今朝の私はそうでした。お金がなくなるという恐怖とか、他の選択肢が削られるとか、それは後付けの理由で、根本的には脳の中があらゆる思考でいっぱいで、これ以上の行動ができない状態だったように思います。
そこから考えるに、行動力の源泉は、脳の余白かなと思ったわけです。余計な悩み事がない状態と言っても良いかもしれません。少なくとも勇気とかバイタリティとかそういう要素は二次的なものなのであって、脳の余白こそが根本的な要素なのではないでしょうか。
では、脳に余白を作るにはどうしたら良いか。方向性は2つ。
- 思考を書き出すことで脳から排出する
- 余計な悩み事が増える環境に身を置かない
最近は毎日ジャーナリングと言って、自分の思考を書き出す作業をやっていますが、これは前者に当たりますね。改めて継続しようと思いました。
そして後者も大事ですね。先ほどカフェに行く前の自分の思考を書き出しましたが、その中の「塾の行末は・・・」なんてまさにこれ。考えてもどうしようもない余計な悩み事が増える環境に身を置いてしまっているのだと反省しました。
ではまた。
常に選択肢を持つ
夫です。
幸せについて考えていたら、スナフキンの「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」という名言に行きつきました。
私は一人旅とか好きだし、友達も物も少なくなってきたけど、では長い旅を「口ずさめる一つの歌」だけで楽しく過ごせるかというと、無理だと思います。まだ何か物とか、サービスとか、少ないながら人とか、頼ってしまうと思います。
つまり、まだ幸せを自分の外にある物とか人に頼っているところがあるということです。もちろんそれは人として当然なことなのですが、「自分だけでも自分を幸せにすることができる」という選択肢を持つことが、幸せの大事なピースになるのではないかと考え始めました。
例えば、働かなくても良いけど働いている、という状況を考えてみましょう。辞めたければいつでも辞められるけど働いているとも言い換えられます。その状況での働くという行為は、強いですよね。
それと同じことが、物とか人でもあるのではないかと思うのです。例えば、車が大好きな2人がいたとしましょう。1人は「車が好きで好きで、ないと生きていけない」というタイプで、もう1人は「別に車はなくても幸せだけど、車が好きだから持っている」というタイプです。どちらの好きが強いかというと、やっぱり後者ですよね。車を人に置き換えてもきっと同じことが言えます。
そう考えると「長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ」という状態は、まず、人やものがなくても自分は幸せということよね。その最強の選択肢を持った上で、だけどこの人は好きとか、この物が好きとかなったとしたら、それは強いよな・・と、想像しました。
自由とは選択肢を持つこと、とはよく言いますが、最強の選択肢とは「自分は物も人もなくても満足=幸せ」という状況なのかな、と思ったよ、という話でした。
ではでは。
時間が欲しくていらなくて欲しい
妻です。
赤ちゃんが3ヶ月後に産まれます。
最近時間に対する焦りが、虚無感というか何もしたくないに変わってきています。
頭に浮かぶことが多いことをまとめてみます。
・子どもの名前を考えたい→しっかり考えて決めたい、もっと考えればよかった・こんなのがあったのかと後悔したくない、候補ばかり上がって決まらない
・簿記と漢字の勉強をしたい→産まれたらなかなかこんなゆっくりは出来ないだろうなあっていう焦りもある、楽しい、首が痛い
・おしゃれなカフェでのひとり時間を過ごしたい→産まれたらなかなか出来ないよなあシリーズ、お金がかかるよな太るなって思ってあんまり出来てない、だんだん長く動くのがつらい
・赤ちゃんにたくさん話しかけたい→あんまり声をかけてあげれてない気がする
・自炊→してはいるけど楽しくなくなってきた、自分のご飯は全部同じ味がする、ご飯が楽しくない
・せどり→自分1人じゃ何も出来ていない感が辛い、でも楽しい。
色々あるけれど、出来ない理由をつけてやってないだけな気がする。やってしまえば出来る気もする。こんなことをぐるぐる考えていたら、最近の何もしたくないもう寝たいモードになっているように思います。
時間は有限です。1人でいる時間が最近嫌いです。でも数ヶ月後には、こんな時間が欲しくなるんだろうな。
細々との細々が人より細いのかもしれないけど、たまに途切れたりもするけれど、じみーにやりたいことをやり続けていけたらいいな。
物事を山登りに例える
夫です。
最近は物事を山登りに例えることを取り入れています。
例えば資産運用。資産5,000万を準富裕層と定義し、そこを目標とするのなら、5,000万円を頂上とする山をイメージする。そこに向かって少しずつ登っていく。そういうイメージをすると良いことがいくつかあります。
- 途中に険しい道のりがあることを当たり前と捉えられる
- 目標達成のための準備の必要性を認識できる
- 目標達成後ではなく、その途中にこそ楽しさがあることに気づける
簡単に1つずつ補足してみます。
まず1つ目の「途中に険しい道のりがあることを当たり前と捉えれる」について。
山登りでも、途中の道は険しく、景色も頂上も見えないことがあるのと同じで、目標に向かって進んでいく際には、途中は変化の見えない悶々とした時間があることは当たり前です。でも、別に止まっているわけではない。景色が変わらないから不安になるけど、いつかどこかのタイミングで景色が見える場所とか、地図がある場所にたどり着く。そういう山登りのイメージをすることで、物事を途中で辞めてしまうことを防げる感じがします。
2つ目の「目標達成のための準備の必要性を認識できる」について。
山登りをする際には、必要装備というものがあります。ただ登れば良いというものではないですよね。最適な装備品を揃えてから登り始めないと、途中で挫けてしまうことになります。大切なことは、それは多くても少なくてもダメということ。準備ばかりしていてもそれが必要なければ、逆に登りづらくなってしまう。こうして山登りに例えることで、目標に向かって歩き始めるときに、最適な準備を整えたかを考えるようになります。
3つ目の「目標達成後ではなく、その途中にこそ楽しさがあることに気づける」について。
山に登る人は、頂上からの景色が見たくて登るのでしょうか。もちろんそれもありますが、途中の道を楽しめない人は山登りには向いていないですよね。景色の変わらない淡々とした登り道ですら、楽しみながら登っています。物事でもそれは同じで、途中は辛くて目標達成後が幸せ、というのは本当はおかしなことです。もしそうなるのだとしたら、登る山を間違えているのかもしれません。こうして山登りに例えることで、途中を楽しみながら目標に向かう意識をイメージできます。
資産形成だけでなく、副業でお金を稼ぐとかも同じイメージで取り組むことができるので、この山登りのイメージはおすすめです。
ではまた。